公開日:13年09月01日
こちらは以前書かれたエントリを転載加筆したものです。
2011年10月初頭、その年3度目の渡仏。
滞在中に契約を決めるぞ!!と気合いを入れて来たのも束の間、
韓国人宿の心地よさに、そして時間があることに、
安心した私は風邪をひきました。
2週間寝込んだのち、
物件を探すのはほどほどに、移住の計画を進めます。
先日不動産屋さんから聞いたように、
まずは学生VISAで渡仏することを決めましたが、どの学校が、
フランス大使館に認められやすい学生VISAを発行してくれるかはわかりません。
フランスの日本人向けフリーペーパーを読みあさり、
仏語のできない私は、『日本語対応可能』と書かれた学校に電話をすることになります。
ところが、いざ、電話をしてみると、フランス語です。

受け付けの人
日本語話す人は今居なくて、この電話番号だから!!
と多分言われたようです。
しかし、数字が全くわかりません。
あとで勉強してわかったのですが、フランス語の数字の読み方は独特。
なんでフランスだと80は4×20で、90は4×20+10って言うの!!
当時の私には数字を聞き取る能力は皆無でした。
もう、わからないものは仕方ないと学校へ直接行き、
講座を申し込みます。8ヶ月で1200ユーロ弱だったかと思います。
週20時間の仏語のクラス、もちろん入門からです。
この滞在期間中に、行けばどうにかなる、ということを学びました。
その後も同じようなことがありますが、現地で訴えると実際どうにかなります。
次は、渡仏後どこに滞在するか。
偶然、大学時代の友人がパリに居り、家を紹介してくれました。
大家さんと直接の契約が出来、安めの金額で入居先が決まりました。
さて、帰国。
帰国1週間後、その居心地のよかった韓国系ドミトリーは警察のガサ入れが入り、
オーナーのマダムと料理のおばちゃんは強制退去処分となったようです。
わたしが預かっててね、と置いて来たいろんなものも、さようなら…。
C’est la vie,ですね。
次回は、渡仏後の話をば。
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